障害者の性の問題は、一つは本人の根本的な問題として性に関する情報の圧倒的な不足がある。先天性の障害者は特に、小さい頃から親元と施設の間を往復するだけで過ごす事が多いため、性に関する情報が慎重に取り除かれている場合がある。たまたま自慰のような行動をする子供がいると、それを叱り、悪いことであるという概念を植え付けてしまったり、逆に叱られる事で大人から相手にされると喜んで自慰行動を助長してしまう例も聞かれる。また、性の自認を阻害されることで、自分のセクシュアリティに気づかず、自分の魅力を否定してしまう人もいるという。また、障害児にもきちんと性を教えていこうという本がいくつも出ている。「ふれあい」と「快楽」を求めることは人間の当然の権利であるという考えにより、性的快楽を否定しがちな従来のありかたを変えていこうとしている。ふれあうことに慣れることは、大きくなってから人生のパートナーを見つける上でとても大切であることはいうまでもない。それからもう一つの問題として、機能障害で射精できなくなることがある。その場合、性欲も減退すれば本人は苦しまずに済むかもしれないが、例えば脊髄に障害を持つ人たちの85%は射精障害を持つが、33%は障害を持つ以前と同様の性欲があるという。また、女性を性的に満足させてこそ男であるという社会的なプレッシャーがあせりやコンプレックスになることも多いようだ。またこのプレッシャーは、四肢障害でピストン運動がうまくできない障害者にもかかっているのです。
日本の障害者は、常に他人の監視下に置かれる事が多く、プライバシーが奪われがちであるし、重度障害者の性は機能障害の為海保者なしには不可能である。だから介護者の考え方はそのまま決定的なものとなる。しかし一般的に、重度の障害者は(肉体的にも金銭的にも自立できていないから)結婚すべきでない、セックスは生殖につながる行動だから(優生学的に)障害者はセックスしない方が望ましい。あるいは、生きるだけでもこんなに人の手を煩わせているのに性を望むなんて贅沢だと考える介護者も多い。そのような場合、障害者の多くはプライバシーがない為に自慰もできずに悶々としていたり、恋愛の機会を完全に奪われていたり、自分を必要の無いものに感じて自殺に至ることもある。恋愛の不慣れがまた、ボランティアの女性への不器用な愛情となって失恋し、心を閉ざしてしまうことも多い。障害者の結婚は実際にはなんとかなるのである。金銭的には障害者年金や介助費がある。在宅の仕事がある。障害者どうしの子供であっても健常者は生まれる。性的な満足についても肌のふれあいで満足しているケースが多い。それから、パートナーとのセックスや自慰に介助が必要な障害者は頼む相手が見つからずに悩む。親友であっても親しいからこそ、下手なことをいって気まずくなったらどうしようと言い出せないケースも多いらしい。一つの解決策として男性の場合ソープランドに行くことができる。しかしいいかげんな扱いをされたり、もし事故でも遭ったら責任が取れないと入店を断られることがあるという。また、障害者の中でも女性にはソープランドのような所が無い(もしあっても精神的なつながりのない性で女性が満足できるかは定かではない)し、性のことを問題にしたくても、まだまだ女性が性を語ることに対する社会的プレッシャーは大きい。女性の障害者は二重の問題を抱えているといえる。

